先日、Amazonである本のレビューを見ていたときのこと。
それは、すでに持っている好きな本でした。
他の人はどんな感想だったのか、気になって軽い気持ちでレビューを見てみたのです。
その中で否定的なレビューを見たときに、とっさにこう思ってしまいました。
「私がこれを好きなのは間違いなの?」
と。
自分の好きな本を否定されたことで、まるで、その本を好きな自分まで否定されたような気分になってしまったのです。
この思考回路、ちょっと良くないな~と思いました。
世間一般的な正解を求めてしまう
自分の好きなものを否定されると、途端に自信が持てなくなることがあります。
「これを好きなのは間違いなの?」
ととっさに思ってしまう。
しかも、問題なのは「間違いなのか」と思ってしまうこと。
人に肯定されることが正解。
つまり、「世間一般的な正解」を無意識で求めてしまっているみたいなのです。
だから、マイナーなものが好きだと、「好き!」って大っぴらには言いにくい。
幅広くは肯定してもらえなさそうだから。
過去に、こちらの記事でも似たようなことを書いていたことを思い出しました。
素の自分を出すことができず、逆に「こうあらねばならない」、「こうしないといけない」と自分を縛っていくようになりました。
また、他人の目を気にするあまり、思うように本当の自分を出すこともできない。
自分の好きなものを素直に「好き」と言うことにも抵抗がありました。
こうして出来上がったのが、建前としての自分。
こんなことを続けていたら、気付いたときには自分が何が好きなのかわからなくなっていました。
どうも私は、世間一般的にどう思われるかを気にしやすい。
特に昔は、それが自分の趣味嗜好にまで影響してしまっていたみたいです。
根深い考え方のクセ
好みは人それぞれなので、自分が好きなものを嫌いだと思う人もいて当たり前。
「好き」に正解も間違いもない。
と、頭ではわかります。
自分が好きなら、それが自分にとっての正解で、誰かにとっての正解である必要はないんですよね。
しかし、自分の好きなものを否定されると、どうしても
「これを好きなのは正解なのか、間違いなのか」
と思ってしまう。
考えるのではなく、条件反射でこう思ってしまうので、この思考グセはなかなか根深いみたいです。
根気強く考え方のクセを直す
幸いなのは、否定されたら好きなのをやめるかというと、そうではないこと。
「世間一般的な正解」をとっさに気にはしてしまうけれど、だからといって好きであることをやめようとは思いません。
もしまた同じようなことが起きて、
「私がこれを好きなのは間違いなの?」
と思ってしまったら、
「いやいや、間違いじゃない。私はこれを好きでいいんだ」
と自分自身に根気強く言い聞かせて、考え方のクセをちょっとずつ直していく。
自分の好きなものを、自信を持って「好き!」と言える自分でありたいなと思います。