先日、「ひみつの花園」のじょうろのイラストが塗り終わりました。
この塗り絵は、2017年に背景を塗って満足し、そこで一旦止まっていました。
それから3年半経った今年1月、急に配色を思いついたので続きを塗ることにしました。
今回、3年半もの間置いておいた塗り絵を再開してみて、「途中で塗るのが止まってしまうことは悪いことではないな」と思ったので、今日はそのお話をします。
再開ではなくバージョンアップ
2017年に塗り始めたときは、背景を赤と黄緑色で塗って止まりました。
塗りたいところを塗って満足してしまったこと。
当時はこれ以上配色が思いつかなかったこと。
これらの理由から、この塗り絵は当時の私にとってある意味「完成」の状態でした。
それから3年半。
今年の1月に配色を思いついて続きを塗り始めました。
ブログでご紹介する際に「再開した」と書いたんですが、「再開」という言葉は何か違うなとずっと思っていました。
2017年に塗ったときは、これはこれで当時の私にとっての「完成」でした。
私のなかでこの塗り絵は1度完成していたのです。
今回、さらに手を加えてできあがった作品を見て、「バージョンアップした」という言葉を思いつき、それがとてもしっくり来ました。
以前は思いつかなかった配色を思いつくことができるようになった。
そんな理由もあって、私にとって「バージョンアップした」という表現が正解だと気づきました。
途中で塗るのが止まることは悪いことではない
「途中で塗るのが止まってしまった」
「最後まで完成させられない」
「途中で放置した」
これらの言い方は、どうしても否定的に聞こえます。
私も自分で言っていると、自分が最後までやり抜くことができないダメな人間のように感じてしまいます。
しかし、これまで塗り絵をしてきて、そして今回「ひみつの花園」をバージョンアップして改めて思いました。
塗るのが途中で止まることは、必ずしも悪いことではないな、と。
途中で止まったからさらに楽しめる余地が生まれた
今回取り組んだ「ひみつの花園」。
もし2017年当時、「何がなんでも最後まで塗り切らなきゃ」と思って無理やり塗り続けていたら、中途半端な仕上がりになり、満足に楽しめなかったと思います。
あのとき自分が満足した時点でやめたから、今回新たに配色を思いつき、同じ塗り絵をさらに楽しむ余地が生まれました。
思いついたのが塗り慣れない配色だったこともあり、
「この色で塗ったらどんな風になっちゃうんだろう?」
とワクワクドキドキ、とても楽しむことができました。
この楽しさを味わうために、当時あの時点で手が止まったのかもしれない。
そんな気がしています。
途中で放置したから「塗り直す」という楽しみ方ができた
このほかにも、途中で止まった塗り絵について、消しゴムで消して塗り直す「リベンジ塗り」というものをしたことがあります。
この塗り絵も途中で手が止まってしまい、しばらく放置していました。
しかし、放置していたからこそ、「塗り直す」という楽しみ方を思いつくことができたし、実際私はこのリベンジ塗りをものすごく楽しみました。
今でもよく思い出せるくらい楽しかったです。
途中で止まっている塗り絵はほかにもいくつかあります。
しかし、リベンジ塗りや今回のバージョンアップのように、最終的には自分にとって満足いく結果になることが何度かあったため、最近では途中で止まっても
「ああ、これは今のタイミングじゃないんだな」
と思うようになりました。
もし途中で塗るのが止まったら、それはなんらかの形でより楽しめる可能性があるということ。
途中で塗るのが止まることに対して、いつの間にか否定的な捉え方ではなく、新たな楽しみがあるかもしれないという肯定的な捉え方ができるようになっていました。
終わりに
起こった出来事をどのように捉えるか、どのように意味付けるかは自分次第。
できるだけ肯定的に捉えたいと思いながら塗っていたら、「途中で塗るのが止まることも悪くないよね!」という考えにたどり着きました。
「バージョンアップ」。「リベンジ」。
なんて便利な言葉なんだ。笑
一気に完成させることも楽しいし、少し時間をおいて完成させることも楽しい。
どちらもそれぞれの楽しさがあるなと思いました。
途中で塗り絵の手が止まってしまって悩んでいる人に、今日の記事が少しでもお役に立てたら嬉しいです。
それでは~。